宝の山に登る
長瀞では、宝の山に登ってきました。
現在の御社殿は、江戸時代末から明治初頭に造り替えられた本殿、幣殿、拝殿より成る権現造り(ごんげんづくり)です。欄間には、「二十四孝」を始め多くの彫刻が施されています。
この社殿再建には当社別当であった玉泉寺住職榮乗の人生をかけた尽力によって完遂いたしました。榮乗は茨城の人で天保9年(1838)40才の年に玉泉寺の住職に迎えられ、弘化2年(1845)社殿再建を発願し同4年着工いたしますが、その後資金調達に難儀をいたすなか、明治を迎えると僧籍を離れ神祇の道を修め引き続き再建に邁進し、明治4年に本殿、明治7年に拝殿完成を見ます。この間実に29年の歳月をかぞえ、榮乗は小菅是道と名乗る初代神職として明治8年76才をもって帰幽いたします。
本殿はじめ拝殿の随所に熊谷在武州明戸の彫刻師飯田岩次郎による彫り物には平成21年御鎮座1900年を奉祝して改修工事が行われ、そのさい彩色を施した彫刻が飾られ緑の森の中荘厳な佇まいです。
神社には誰もいなくて、朝のぴーんとした空気の中、おまいりしてきました。
社殿奥に進むと、天満天神社がありました。
学問の神様である菅原道真公をおまつりしたお宮です。
こちらにも絵馬が掛けられていました。
さらに奥には、谷越えの橋を渡り、鳥居をいくつもくぐり抜けて、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る宝玉稲荷神社がありました。
絵馬は描けませんでしたが、神さまはわたしの心の中を覗いていらっしゃったのではないでしょうか。
静かで心穏やかな、素晴らしい時間でした。
神恩感謝。
自分の心にある、形のない想いや気持ちを、伝筆(つてふで)という見える形にして、大切な人へ、大切に伝えます。
文字を描くのに年齢制限はありません。
50の手習いと言われるように、50歳からでも60歳からでも「生涯の技術」として、
伝筆をはじめていただけます。
一般社団法人伝筆協会認定講師
なみおか恵美
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