夢七訓 渋沢栄一翁と七社神社
意外でした。
いやしかし、こんな重みのある言葉はなかなか語れるものではありません。
渋沢栄一翁が語ったと信じたいですね。
なぜだか急に「夢七訓」を書きたくなりまして、はがきに書いてみたというわけです。
夢七訓
夢なき者は理想なし
理想なき者は信念なし
信念なき者は計画なし
計画なき者は実行なし
実行なき者は成果なし
成果なき者は幸福なし
ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず
澁澤榮一
来年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」は渋沢栄一翁が主人公。
演じるのは吉沢亮さん。
コロナウィルス感染拡大の中、撮影はどうなっているんでしょうか。
放送されるんでしょうか。
気になります。
渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。
家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問 の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びます。
「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一や従兄たちは、高崎城乗っ取りの計画を立てましたが中止し、京都へ向かいます。
郷里を離れた栄一は一橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。
栄一は27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。
明治維新となり欧州から帰国した栄一は、「商法会所」を静岡に設立、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。
1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人として活動しました。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)でした。
栄一は第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
栄一は、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら1931(昭和6)年11月11日、91歳の生涯を閉じました。
渋沢栄一翁と縁のある七社神社で3回目となる年賀状講座は開けるのでしょうか…。
夢七訓のはがきを前に、複雑な想いでいます。
画像背景「天照皇大神」は渋沢栄一翁の書です。
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